過去の「いっぷく」
「いっぷく」は、鈴木盛夫を支えるボランティアや、ゆかりのある人々が綴るエッセイのコーナーです。できるだけ、杉並を題材とした事柄になるようお願いしています。
なお、このコーナーでの記述は、それぞれの筆者の考えによるものであり、鈴木盛夫の主張ではありませんので、あしからずご了承ください。
第2回 神戸に学ぶ
島津 顕曜
「こんなもんやなかったよ」
神戸市中央区「人と防災未来センター・防災未来館」には、阪神大震災で被害を受けた街を再現したジオラマがある。
木造建築の一階部分が潰れ、コンクリートの建物は、窓ガラスが粉々になり、鉄筋が剥き出しとなっている。
この夏、ここに案内してくれたのは大学時代の同級生S。
彼は就職した年の冬、阪神大震災を体験した。
いまから10年前、彼は父親の勧めから神戸の運送・倉庫会社に就職した。
小さな会社だが老舗であり、神戸の運輸業界で知らぬ人はいない会社だ。
本社は神戸の中心、三ノ宮にあり、彼は通勤に至便な阪神線沿線に住まいを決めた。
周辺は下町の住宅街であり、木造建築が密集していた。
1994年1月17日午前5時46分。彼は突然の大きな揺れに目覚めたという。
「何がなんだか全くわからなかった。けどね、テレビが宙を飛んでいく場面だけは、いまでも鮮明に覚えているよ」
一瞬にして彼の居室は足の踏み場もない空間となったという。
「生きていることが不思議だった」
なんとも実感がこもった言葉であった。
館内には「大震災ホール」があり、入館者は必ず震災から復旧、復興へ至るドキュメンタリー映画を見る。
上映中のことだ。神戸市街地の映像を見て、私と同級生Sの後ろに座っていた幼稚園ぐらいの女の子が、共に来たお祖父さんに尋ねた。
「ここはどこ?」
「三ノ宮や。この建物はそごうや。あっ、これはセンター街や」
「えっ、こんなになったん」
「そうや。地震でみんな壊れたんや。爺ちゃんも大変やったんや」
あたりまえなのだが、10年が経過し街には地震未体験世代がいる。これからどのように語り継ぐかが体験者の課題となる。
■
ワンフロアを使って阪神大震災のあらゆるデータや写真、人々がどのように生活したか、震災後の復興の記録が展示されている。
映像資料もビデオテイクシステムにより、さまざまなテーマの番組が揃えられている。
一日ですべてを見ることは難しいくらいの展示だ。
印象深かった展示が、避難所のまとめ役となった自治会長さんのノートである。
やらなければならないこと、避難所で起きた揉め事とその対処、救援物資の分配、市や区との交渉など、日記と手帳を兼ねた記録だ。
自治会長が、突然リーダーとして大勢の人の先頭に立ち、毅然と振舞わなければならなかった苦悩を知ることができる。
この文では、すべてを伝えきることができないが、京阪神への旅や出張の機会がある方は、ぜひ一度見学に行かれることを勧めたい。
非常時に生きていく方法を、身をもって体験した神戸の人々から教わることは驚くほど多い。
■
新潟県中越地震が発生してから、早一月が過ぎた。そして、この一月の間に、東日本の秋は深まり、気温も低下。
現地の方々の苦労を思うといたたまれなくなる。
かける言葉がない。
ふと「もしも杉並で地震が発生したら」と考え込んでしまった。
すぐに助けは来ない。
私たちはみんなで協力して、この街を守ることができるだろうか。
●阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター
神戸市中央区脇浜海岸通1‐5‐2(HAT神戸内)
電話 078‐262‐5050 http://www.dri.ne.jp/
しまづ・けんよう 1971年生まれ。現在、杉並区方南に住む業界誌編集記者。
ご連絡先 / Tel 03(5347)9808 Fax 03(5347)9807
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